リアル人生ゲームの行き着く先。

2009年11月06日 12:04

誰もが子供の頃、一度はやる人生ゲーム。

勝ち負けはお金、ステータスといったものが基準になります。

ゲームの鍵を握るのは、力、パワーなのです。


実際の人間の人生においても鍵はパワーなのか?

世界的な作家、故・シドニー・シェルダンの代表作『ゲームの達人』にそのヒントが隠されているように感じます。

まずはこの作品のストーリーを。
世界有数の巨大複合企業『クルーガー・ブレント』とその一族の繁栄と衰退を描いたもの。巨大複合企業の老女社長、ケイト・ブラックウェルは誕生日の日、自らの死期を悟り、自らと自らの一族の奇妙な運命に思いを馳せる。「ビジネスはゲームだ。生き残るためには『ゲームの達人』にならなければならない」。果たして彼女は『ゲームの達人』であったのか?
(wikiより抜粋)


簡単に言うと、主人公が「人生はパワーが全て」そうかたくなに信じ突き進んで行く話です。

そうして結局、主人公は親から引き継いだ会社を超巨大企業となるまでに育て上げるわけです。


この話から感じるのは、パワーはとても合理的だということです。

パワーを駆使すればゲームのほとんど全ての局面で勝つことが可能です。

ただ、ゲームにおいてパワーがその効力を発揮するのは「勝ち負け」がつけばという条件がつきます。

勝ち負けのつかないゲームなんてあるのか?

人生というゲームには「勝ち負け」はつかないと僕は思います。

ひとりひとりの人生の定義は異なりますしね。

ただ人生においても、パワーは大きな推進力となり得ると思います。

しかし、大切なのはそれが全てではないということです。


人生においてその大半の期間でビジネスとの関わり合いがあります。

でもそこで、忘れてはならないのは、ビジネス以上に人と関わるということです。

人には心があります。感情があります。

つまりは不合理なのです。

合理的なパワーで不合理にあたるのは無理がありますよね。

けど、なかなか合理、不合理のバランスは取りづらいものだと思います。

自分のことはただでさえ認識しづらいですしね。

そのために反面教師としてどちらかに偏った生き方とそのてん末を見ておくのもひとつの手ではないでしょうか。

ゲームの達人』はそれにうってつけの作品です。

「パワーが全て」そう信じる主人公が、お金、権力、ステータス、そういったパワーを価値観の最上位とした人生というものを見せてくれます。

主人公のもとには人生の終わりに何が残ったのか?

それは・・・





せっかくですから、あなたの眼で確かめてみて下さい(笑)

ただひとつ言えるのは、求めたものしか残らないということ。

これは世の中がどれだけ変化しようとも変わらない道理ではないでしょうか。


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重い曲ですが、繊細ながらも躍動感があって好きです。
Nine Inch Nails『Hurt』









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「もう」を「まだ」に変えるには。

2009年11月05日 09:46

あれもやらなきゃな、やばいなー

そういや、これもやらなきゃな、やばいなー

んーしかし・・・やばいなー


先日まで、頭の中に「やばい」って言葉が乱立してました。

というのもあと2週間後に資格試験を受験するのですが、

それまで気楽にやっていたので問題を解くとなるときつい。

「分かる」と「できる」は違うということです。

というか「分かる」じゃなくて「分かってるつもり」でしょうけね。

で、あと2週間となった際、僕が思ったのは、

「もうあと2週間しかない」

ということでした。

でも、捉え方はもう1つありますよね。

「まだあと2週間ある」と。

ただ、その時の僕にはそういう捉え方は分かっていてもできませんでした。

では、この「まだ」と「もう」の違いはなぜ起こるのでしょう?


取り組む対象にちゃんと向き合っているかどうかだと思います。

向き合っていれば、ちゃんと進捗や自分の今いる位置を認識できます。


「もう」と言ってるときは口先で騒いで逃げてるだけなのです。

「やばい、やばい」と言ってるは、まだ余裕がある証拠ですよね。


どうすれば、逃げずに向き合うことができるか?

それはもう、追いつめられなくちゃならないです。

普通の状態では難しいんだったら、追いつめられれば良いわけです。


ということで「時間がない」と感じている時に、わざとやるべきことをしないようにしてはどうでしょう。

毎日やっていることなら、一日そういう日を作れば次の日には「ちゃんと向き合おう」っていう気になってるはずです。

ただ、やる時期を間違えると単に焦るだけになることもあるので注意が必要ですが。。


で、3日前くらい前にそれをやってみたのですが、案外うまくいくものです。

一番ネックになっていた部分を片付けてしまえました。

口をついては出ていた「やばい」はどこえやらです。


2週間は2週間でしかありません。つまり現実には何の色もついてはいません。

その現実に「まだ」とか「もう」とかいう色をつけるのは自分自身です。

その色を簡単に自分で塗り替えることができれば苦労はしないのですが、なかなかできませんよね。

そんな時には、環境に強制力を持たせて「せざるをえない」状況にしてやる。

そうすれば気付いた時には、以前の色とは変わっているはずです。


ということで・・・まだまだこれから!


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勇気の湧く曲。
BUMP OF CHICKEN『ロストマン』


↑アマチュアフォトグラファーの方の自作PV。写真がとてもきれいです。


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理想像は好きなものの中に。

2009年11月04日 09:00

ヨドバシカメラ、ビッグカメラ、ヤマダ電機、などなど

家電量販店って何であんなに賑やかなんですかね?

テーマソングや宣伝がひっきりなしに流れてますし。


僕はなぜか家電が好きなんです。(といっても眺めるのが、ですけど。。)

けど、家電量販店の賑やかな感じがあまり好きになれないんですよね。

クラシックとかがBGMでかかってる、そんな厳かな雰囲気のお店とかあったら行ってみたいんですけどね〜

残念ながらそんな優雅なお店はないので、もっぱら価格.comを時間の空いたときにパラパラ見ています。


最近は、カメラを見るのにはまってます。

パナソニックやオリンパスなど日本の企業が活発に新商品を出していっているので、何だか嬉しいですし商品見てるだけで楽しくなります。

色々と比較していると、

当たり前のことですが全てが100点満点の理想のものなどない、ということに改めて気付かされます。

平均70点でどれもそつなくこなすものはあります。

今出ているもののほとんどはこの平均型だと思います。そして、流れとしてもオールラウンドさはそのままに平均ラインを高めて行く方向にあると思います。

ただ、この流れで行っても全て100点満点はありえないだろうと思います。(市場がひっくり返るくらいの技術革新があれば別ですが。)

が、これはこれでどの分野でも高い満足度を与えてくれる素晴らしさがあります。

一方、平均は50点そこそこ、だけど1つだけ100点満点、むしろ120点いってるぐらいのものもあります。ごく少数ですが。

もしどちらかに決めるとしたら、結局はどっちが好きかって話になると思います。

どちらが優れているかという比較はそもそもタイプが違うのでできませんしね。

ちなみに、僕は1つずば抜けて良い所がある方が好きです。

強烈な個性を持っているものに魅かれます。

これって自分自身の性質を強く反映すると思います。

僕は、飽きれるくらい「変人」と言われるので、変なのが好きなのでしょう(笑)


好きなものの特性には自分が「こうありたい」という姿が隠されているように思います。

今日の話の場合、ゼネラリストかスペシャリストかって感じで。

僕はとんがっていたいのでスペシャリストを好むようです。


あなたはどんなタイプが好きですか?


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とんがってるといえばこの人。
Beck『Debra』




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「なぜ」の真実。

2009年11月03日 09:30

「なんで、○○してんの?」

と先日、親友から電話がかかってきた時に聞いたんですね、以前から気にかかっていたことだったので。

で色々と話を聞いたのですが、結局しっくりこずいまいち建設的な会話ができませんでした。


電話の後も何かがひっかかっていたまま。

一体これは何なんだろう、という思いを残したまま後日、書店で立ち読みしていると、ある言葉に眼がいきました。

「なぜ?」と質問するのは、
そのことが「気に入らない」と言っていることと同じ。


まさにひっかかっている物が何なのか分かりました。

それは、否定の心です。

僕は親友のしていることの一部をあまり快く思っていないのです。

それが「なぜ」という言葉を通して出てきたのだと思います。


この「なぜ」っていう言葉はかなり強力な言葉ですよね。

自分自身の問題に対して「なぜ」を投げかけてフィードバックしていくと、

時には悩んだりしますが、最後には必ず答えが出てきます。

ただ、ここでも自分の現状に対する否定から始まっていることには変わりありません。

でもこれって自分自身のことだから否定から始まっても何とも感じないんだと思います。

むしろ、自分を客観的に捉えることはなかなか難しいですし、客観視する代わりとしても非常に有効であると思います。

一方、自分以外の人や物が対象となる場合、

否定のフィルターがかかってしまって正しく議論を導くことができないのではないでしょうか。

どうしても相手を否定する方向へ持っていってしまうように感じます。



数多くの著書を出版している質問のプロである弁護士・谷原誠さんは著書『人を動かす質問力』でこのようなことを記されていました。
「なぜ」を使わないためには、「なぜ」を「何」や「どのように」に置き換えると良いでしょう。

自分以外を対象として質問を投げかける場合に生産的、建設的な議論を築くためには、

「なぜ」という漠然としたものを一度に投げかけるのではなく、

置き換えることでひとつひとつ段階的に明確にしていくことが必要ではないか、と思います。

また、自分自身に関しても、何を求めての質問なのかを自問する必要があるように思います。

純粋に知りたいのか、否定したいのか、出発点が違えば到着点もおのずと違ってきます。

その部分を明確にすることもまた必要ではないでしょうか。


それにしても・・・

質問とは何とも奥深いものです。


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このセンチメンタルなギターが好きです。
TRICERATOPS『if(LIVE)』







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情報の違いが全て。

2009年11月02日 15:48

売れる本と売れない本。

売れるCDと売れないCD。

一体、何が違うのでしょうか?


マーケティングが関係していたりもするとは思いますが、

根本の部分で中身が全く違うということが原因と考えられますよね。

このことに関連することで梅棹忠夫さんが著書『情報の文明学 』でこういったことを記しています。

情報というものは、たいへん個別的なものである。あるいは精密なものである。活字のならびかたがちょっとかわっただけで、情報としてはべつものになる。電子の音声がすこしみだれても、それはただの雑音と化す。紙はしかし情報を選ばない。電波もまた情報を選ばない。その内容如何にも関わらず、媒体のほうは機能を果たすのである。


中身が違うということは、つまり乗っている情報が違うと言えます。

まぁ当たり前と言えば当たり前のことですよね。

紙の質が良くても悪くても大した差は生みません。


このように本やCDのような身の回りにある「物」に対してはそう容易に認識できると思うのですが、考える対象が「人間」というものになると別個のこととして処理してしまうのではないかと思います。

凡人と天才は違う、凡人は天才にはなれない、というように。

けれども、人間にしても紙やCDと同じようなことが言えるのではないかと思うのです。

つまり、媒体としての「人間」というものには大して差はないのではないか、ということです。


脳や神経、そして身体の構造、そういったものは人間という種間において共通しています。

ではなぜ違いが出てくるのか?

それは使い方、生かし方が違うからではないでしょうか。

早く走る筋肉の使い方を生まれながらにして知っている人は、苦もなく早く走れます。

反対に使い方、生かし方を知らない場合は、その情報を自分の中にインプットしてやれば使えるようになるはずです。

使い方、生かし方の情報を持っているかどうかで決まると思います。

ただ、同じ紙でも書物に適した紙、書くのに適した紙があるように、媒体にもそれぞれに特徴があります。

なのでやはり向き不向きというものは存在し、全てが全て可能ではないとは思います。

そのためにも、自分を知ることは大切なんだと思います。


自分の特徴を知った上で、

目的を達成するための情報を蓄積し、その質を高めていくことができれば、

やってやれないことは無いのではないでしょうか。


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楽譜は一緒でも演奏するバンドが違えば別物です。ほんとに楽しそう。
SWING GIRLS『Over the Rainbow 』







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